AIにデータを放り込めば、企画書も報告書も作成してくれるし、論文でも計算のプログラムでも書いてくれる。英文の和訳、日本文の和訳もあっというまにでき、海外の人とのメールのやり取りは恐ろしく簡単になった。挿絵に必要な画像やイラストも、AIがいくらでも生成してくれる。

 文科大臣補佐官として2020年の大学入試改革を指揮し、現在は、東京大学公共政策大学院で教授を務める鈴木寛氏は、AI時代において「人間には“答える力”よりも“問う力”が求められるようになる」という。子供たちの“問う力”を伸ばすには何を学ばせればいいのか。鈴木教授に訊いた。

AIからいかに「正しい答え」を引き出すか

──AIは何でも答えてくれますが、例えば自然言語AIの「ChatGPT」が出してくる回答には、けっこう間違いが多いとされています。

鈴木氏:今は間違いが多いですが、急速に改善されるでしょう。AIが間違うのは、学習した情報の中に間違った情報が多々含まれているからでもある。人間が出す情報も同じくらい間違っているから、それを元に回答するAIも間違える。

 AIは間違った答えも出してくるから、いかに正しい回答を引き出すか、いかに的確な回答を引き出すかが大事で、だから、“問う力”が必要になるのです。Googleの検索エンジンで情報検索するときに、どんなキーワードを選ぶかで、求める情報に到達できるどうかの差が出ますが、それがさらに高度化するイメージです。問題の本質をつかむ洞察力や観察力、思考力が問われてきます。

 問う力だけでなく、AIが出してきた回答の正誤を見極める力も必要になります。ある分野の問題をAIに問い、出てきた答えに対して、その分野の最低限の知識がなければ、正誤の検証はできませんから、勉強が不要になったわけではありません。

 ただ、文字と数字で表現できるものはAIが処理するので、文字と数字で表現できない世界での人間の能力を伸ばしていく必要があります。

──学生が大学のレポートをAIに丸投げするような問題も起きているようですが。

鈴木氏:それに対する答えは簡単で、私だったら、学生に「ChatGPTに対してこういう問いをしたら、こういう回答が返ってきた。間違いを指摘し、修正せよ」というレポートを書かせますね。あるいは、「あなたの経験や価値観に照らして意見を述べよ」と。

 AIというのは、一般的に当たり障りのない回答を返してきますので、AI頼みではオリジナリティのない、つまらないレポートしか書けず、評価も低くなるでしょう。もしAIを使って独創的なレポートを書けたのなら、“問う力”を駆使したということなので、それはそれで構わないのではないですか。

デジタル・ネイティブ世代の学びとは

──私には小学生の子供がいますが、AIが社会を変えていくなかで、子供にどういう教育をすればいいか迷うことがあります。同様の思いの親は多いのではないか、と推測します。

鈴木氏:子供の場合は、デジタル・ネイティブなので、放っておいても、AIでも何でも自然に使いこなすようになるでしょう。AIとか、メタバースとか、デジタルが溢れた世界で重要になるのは、リアルな自然体験とか、人と人とのコミュニケーション体験とか、哲学用語で言うところの“純粋経験(*)”を積み、直観を磨くチャンスを与えてあげることです。

【*注/純粋経験:「後付けされた概念や解釈などをできる限り排除して得られる原初的な経験」を指す哲学用語】

 水平線に沈む夕日を見て涙が流れたとか、他の子と友達になって喧嘩して仲直りしたとか、リアルな体験を重ねることがとても大事です。

 塾や受験のシステムに子供を委ねるのは楽なのですが、今後、それは人間をロボット化することになりかねない。AI時代にはロボット化された人間は本物のロボットにかなわなくなります。

 これからの時代を生きていく子供たちは、今はまだ存在しない仕事に就いたり、想像もしなかった社会問題に直面したり、現時点では予想できなかったことが起きるでしょう。

 私はOECD(経済協力開発機構)の「教育2030プロジェクト」の理事を務めていますが、その中心的な概念とは、予測できない不確実な未来を生きていく子供たちには、「自ら目標を設定し、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲」を身につけさせることが大事だとしています。

 課題を見通し(Anticipation)、行動し(Action)、振り返る(Reflection)という「AARサイクル」を繰り返して、問題を解決できる人を育てるということです。

 それには自主性や自発性を伸ばすことが何より大事で、子供たちには時間と空間の自由を意図的に確保してあげることです。単に放置するのではなく、子供の自主的、自発的な行動を大人がうまく支援してあげることが大事です。

 電卓が登場したとき、そろばんの技能の価値は著しく下がり、コンピュータが登場したら、そろばんの役割はほぼ終わった。脳トレ的な活用のされ方は残ったが、もし今、学校で計算の技術を学ぶことを目的に必死にそろばんの技能を習得させようとしていたら、「もっと他のやり方がある」と考える人は多いだろう。

 時代の要請で教育は変わる。AIの加速度的な進化が始まった今、従来の教育を相変わらず続けているのは、惰性でしかないだろう。教育の現場における大人の役割にも変化が求められているのは間違いない。